関東地方の城郭 茨城県“豊田城”


二層櫓と豊田城

大きなお城です

豊田城は観覧券


豊田城パンフレット

城内にエレベーターがあるなんて(笑)

先ずは豊田城7階の展望台より、イイ眺めでした(^_^)/

明治39年当時、節の旅姿の蝋人形

縄文時代の関山式竪穴式住居の復元模型

飯沼新田開発の様子

小田家鎧胄

紺糸威五枚胴具足

袖無陣羽織

陣笠

煉革黒漆塗火事頭巾兜

紺糸素懸威五枚胴具足と紺糸素懸威桶側胴具足

各種刀剣

軍隊ラッパや海軍探検・軍服ベルト

戦時中の品々が展示されてました

◎ 豊田城主毒殺の場・・・リアルです

城をバックに車の写真が撮れました♪

康平五年(1062年)、源義家に従って軍功を立てた赤須四郎平政幹が豊田郡を賜り、豊田氏を称した。
豊田氏は、はじめ向石下に館を置いていたが、正平元年(1346年)、豊田善幹の時にこの地に城を築き豊田城としたという。
戦国期には下妻城主・多賀谷氏の圧迫を受けて、城主・豊田政親は小田城主・小田氏治と同盟した。しかし、その後も多賀谷氏の侵攻は厳しく、永禄元年(1588年)、城主・豊田治親は石毛城主・石毛政重と共に多賀谷軍を長峰原・蛇沼で迎え撃ち、小田氏の援軍を得て撃退した。
天正六年(1578年)、豊田治親は、多賀谷氏に調略された家臣・飯見大膳に毒殺され、豊田氏は滅亡する。
以後、豊田城は多賀谷氏のものとなったが、慶長四年(1601年)に多賀谷氏は改易となり、豊田領は天領となった。


実際の豊田城はコチラの場所ではなく、少し離れた場所にあったらしく、この豊田城は常総市地域交流センターとして建てられた城で、7階建てになっていて、城内にエレベーターがありました(笑)

入場料を払い、先ずはエレベーターで上がり展望台を見てから、各階を下りながら見学をします。
豊田城は48.5メートルもあり展望台からは、つくば山が綺麗に見えました♪
6階〜3階は展示室になっていて、原始・古代〜近代に至るまでの歴史や古文書のほか、模型・レプリカ等の資料が展示されていました。

ジャックのお出かけ日記『そうだ、城を見に行こう♪in茨城の巻き』