北陸・東海地方の城郭 静岡県“掛川城”


雰囲気が素晴らしいか掛川城(^_^)/

大手門です

◎ 掛川城でっす♪

◎ 掛川城天守・・・石垣はイマイチです^^;

天守案内看板

掛川城パンフレット

掛川城パンフレット

入場料300円

狭間

◎ 急な階段を上がると天守閣です

浜松城から見た御殿

◎ 御殿から見た浜松城

国の重要文化財に指定されている二の丸御殿です

大名行列の模型が展示されてました

浜松城のジオラマでっす

◎ 石垣が残念でした^^;

掛川城をバックにジプ号と記念写真、偶々入った駐車場で写真が撮れました(^^)v

スズヤン号単独で

◎ 夜はライトアップされていて綺麗でした(^_^)/

応永年間(1394〜1427年)にこの地の豪族、鶴見氏が砦を築いたのが始まりと伝えられる。
文明年間(1469〜1486年)には、駿河守護の今川義忠が遠江支配の拠点として重臣朝比奈泰熙に命じて城を築かせた。
朝比奈泰朝の代に、主家である今川義元が桶狭間で織田信長に討たれると、今川家は没落の道を辿り始める。
永禄十一年(1568年)、武田信玄は徳川家康と密約を結び、甲相駿三国軍事同盟を破り今川領に侵攻を開始する。
このため駿府城にあった今川氏真は、朝比奈泰朝の守る掛川城に逃れる。
翌年、徳川家康は五ヶ月に渡って掛川城を攻めた後に、開城を条件に和議。
氏真は小田原の北条氏を頼って落ち延びた。家康は重臣石川家成を城代として、対武田防御の拠点とする。
天正十八年(1590年)、徳川家康が関東に移ると、掛川城には山内一豊が入り、城の大改築を実施して天守を築く。
慶長五年(1600年)、関が原の戦いに際し、城主山内一豊は、西上する徳川軍に城を開放。
この功によって戦後、土佐一国二十四万石の太守に任ぜられる。
その後、松平、朝倉、青山、本多、北条、井伊、小笠原、太田氏とめまぐるしく城主が変わり明治を迎えた。


掛川城に着いたのが入館時間を過ぎてしまい券売場が閉まっていたのですが、城に行くと係員の方が快く入れてくれました(^^♪
閉館ギリギリだったので、ゆっくり見学出来ませんてしたが、一通り見ることが出来ました♪

偶々、入った駐車場では、城をバックに車の写真が撮れました(^^)v


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